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2011/03/20

哲学カフェ/生活が充実しているとはどういうことか。

くまです。

先日、とよなか国際交流センターで哲学カフェを行いました。

進行役の杉山さんは、哲学カフェの進行初トライでした。
感想をいただいているので、掲載しておきます。

参加していただいたみなさま、ありがとうございました。


杉山です。今日の哲学カフェの感想です。

進行役をやらせていただくのが初めてだったからか、それともテーマの立て方が少々まずかったのか、序盤は「何が充実した生活かは人それぞれだ。」、「その人自身が充実していると思っているならそれでいいのでは。」といった身も蓋もない感じでどう議論を進めたらいいか分からず、この先一体どうなるかと不安でしたが、ある方の提案で参加者皆さんそれぞれの充実の定義を聞いていったあたりから徐々に軌道に乗っていったような感じでそれ以降は次第に発言も活発になっていったのでとりあえずホッとしました。

個人的には議論を聞いていて、何を充実した生活と感じるか、人生の中で何に価値を置くかはもちろん人によって違うわけですが、ある程度の共通点として「目標に向かう」ということがひとつポイントになっているように思いました。自分はどういう生き方がしたいとか、どんな人間になりたいとか、何を手に入れたいとか、具体的な対象は人それぞれですが、何かに向かって頑張っている人は活き活きとしているように見えますし、僕個人の感覚としても、目標を達成してしまった後よりもその目標に向かっている時の方が楽しいように思うので、それはなんとなく分かるような気がしました。結局、必要なのは目標となる対象そのものというよりむしろ目標に向かっている時間の方なのではないかと思いました。

それで、具体的に何に価値を置くかは人それぞれでそれを決めるのはその人自身だということになるのですが、では自分が満足感を得られさえすれば何をしてもいいのか、結局は全部自己満足で済むのかというような話になっていったわけですが、そこにはある程度社会的に求められる価値観や生き方があったり、自分自身が思う充実した生活と他人から見た充実した生活との違いとか難しい話もありましたが、その中で、価値観は人それぞれであっても少なくとも自分の行為や生き方に対して負い目を感じないというか、否定的な捉え方をしないということも充実の条件に含まれるのではないかという金さんの指摘はなるほどと思いました。そういったような社会的な条件をより良い充実感を得るためのための条件と見るか、個人の充実を阻害するものと見るかは参加者によって異なっていたようでした。

あと、最後にこれも参加者の一人の提案で「この時間は充実していたか」を皆さんにお聞きした時に多くの方に充実していたと答えていただけた時にはさらにホッとしました。非常に拙い進行でしたが、参加者の皆さんがすごくやさしかったのと、この時間が少しでも役に立ったと言っていただけたことがとてもうれしかったです。

杉山知紀