ページ

2011/03/27

中之島哲学コレージュ「声で聴く、ソクラテスの対話」

 こんにちは。たかはしです。もうすぐ四月とは思えない寒さですが、みなさんお元気でいらっしゃいますか。
 被災された方の厳しい状況にこの寒さが重なっているのかと思うと、花冷えの気候までうらめしく思えて来、はやく春になってほしいと思う毎日ですが、よく目をこらすと、ミモザもムスカリも木蓮もいつものように咲きはじめ、桜の木々も枝の先まで春のエネルギーで満ちているようです。
春も、希望も、見つけるものなのかもしれません。

 中之島コレージュ「言葉と/で・・・」の最後の企画となった「声で聴く、ソクラテスの対話」が行われた3/25も冷える日ではありましたが、30名を超える方にお越しいただきました。
「言葉」をテーマにした一風変わった連続企画に参加してくださったみなさん、ありがとうございました。「論理的な言葉」「書かれた言葉」という従来の哲学のイメージとは違うかたちで、哲学の言葉の響き、手触りに触れていただければと思い企画しましたが、お楽しみいただけたのであれば幸いです。

 この企画の最後は、以前からやってみたかった「哲学の言葉を声で聞く」ということにチャレンジしました。プラトン作ソクラテスの登場する対話編から「クリトン」の一部を、俳優であり演劇のプロデュースをしておられるゲストの門脇さんに朗読していただき、その後参加者のみなさんと話し合いました。参加者の方のご意見にもあったように、門脇さんの深みと芯の通った声は、哲学の言葉によくフィットしていて、30分の朗読でしたが、プラトンやソクラテスの世界がそこにたちあらわれたかのようでした。

 朗読後は、不当と思われる死刑の判決を受けてもアテネの都市国家を立ち去ろうとはしないソクラテスについて、ソクラテスは何を考えているのか、自分がソクラテスだったらどうするか、そうまでしてソクラテスは何をしたかったのか、などが参加者の皆さん、門脇さんも交えて話し合われました。
 印象に残る意見が沢山ありましたが、ひとりの方が「ソクラテスが今逃げてしまったら、この問題を問題として考えることはできなくなる。この問題を無くさないために、問題を問題として考え続けるためにも、ソクラテスはアテネにとどまったのではないか」ということをおっしゃったことがとても心に残っています。

 進行をしながらお話しましたが、私自身が「クリトン」を読み返して一番に思ったのは、福島で哲学カフェに関わってくれている方のブログのことでした。その方は福島県を今ご自分が出るべきか否かを繰り返し考え、ブログの読者にも問いかけられています。私自身であればどうするのだろう、この方に私が言葉をかけるとしたらそれは何なのだろうとずっと(大きなお世話ながら・・・)考えていたのですが、先のご意見を聞いて、何か視界が開けた気がしました。ソクラテスは死刑から逃げなかったのではなく、問題から逃げなかったのかな・・・そんなことを思いました。

 本編が終わった後は、ゲストの門脇さんたちと、このような哲学の言葉を声で聴くというシリーズをこれからも続けていけたらいいね、というお話をしました。私も引き続き声で聴いてみたい哲学書を何冊か準備しつつありますが、みなさんも、こんな本朗読で聴いてみたい、朗読してみたい、ということがあればぜひ教えてください!