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2011/06/01

東京で震災についての哲学カフェをしました

たかはしです。
雨や風が強い日が多く、出かけるのがおっくうになることも多いですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

先週の土曜日、台風を予感させる雨降りのなか、東京で震災についての哲学カフェの進行をしてきましたので、その報告です。

人数は25人ほどだったと思います。いつも主催進行をされているカフェフィロ東京支部の寺田さんによると、2/3くらいの人がよく来る方かその方のお知り合いで1/3くらいの方が初参加の方だそうです。
大阪の哲学カフェと同じように、今回は一つのテーマについて議論するというよりも、みなさんが感じられたことをどんなことでもいいので聞かせてもらって、今後の議論のテーマとしたいということをお話し、カフェを始めました。テーマは大阪と同じ、「今震災について私たちが考えたいこと」でした。

全体の印象としては、関東在住の方はご自身被災された、被害にあったと思っているというより、東北で被災され、大変な思いをしておられるみなさんとご自分との距離、ということをいろいろ考えておられるのだなという印象を持ちました。何人か、東北に故郷がある、いま東北地方に住んでいる、ボランティアで現地に行ったというような方も来てくださっていましたが、そうした方でも、ご自身の経験にある程度距離を保って言語化されているという印象をもちました。

みなさんの意見、関心が集中したのは

(1)他人の苦しみによりそう、ということはどういうことか/被災地に「行く」「見る」べきなのか?
(2)「現実感」とはなにか/「本当のこと」「本当に経験する」とはどういうことか?
(3)「うしろめたさ」はどこから来るのか?

というような点だったと思います。

(1)に関しては、大きな被害に苦しむ人がいるときに、自分はどのような態度、行動をすればいいのかということを巡って、自粛のこと、被災地の人とそこから遠いところにいる人の感じ方に落差があること、そのような落差のなかで、支援や関わりをする、というのはどういうことなのか、ということについて意見が出ました。
愛知から来られたボランティア活動に関わっておられる方の「東京は東北に近いのだから、もっと被災地に行ってほしいなあ」という意見から他の方が「自分は自己満足になるのが嫌だということもあり、あえて被災地には行かないことを選択した」という意見を出され、「被災地に行く」ということがどういう意味を持つのか、被災地を「見る被」「経験する」、被災地に「行く」などが誰のためのどのような行為なのか、ということについて話し合われました。これは物理的に簡単には被災地に行けない関西では出なかった論点でした

(2)については、自分でも地震は感じたが、東北の大きな被害についてはテレビや報道を通じてしか知ることができないので、この出来事の「現実感」が感じられない、「現実感」って何なのだろう、という問いや福島に住む親族はあまり原発のことを話題にしたがらなくて、むしろ知らないでいたいと思っている節があるという話から原発に近い人が「本当のこと」を知りたい、知っているわけではない、しかしそれは知るべきではないかという問いやそもそも「本当のこと」とか、何かを「本当に経験する」とか言うことはどういうことなのかという話につながりました。

(3)については、多くの方が、被災された方に対して「うしろめたさ」を感じる、という意見があり、そこから「うしろめたさ」はどこから来るのか、について話がなされました。私が覚えている意見では

ふだんは他人の死に対してうしろめたいと思うことはあまりないが、今回は被災地と距離が近いところに住んでいることもあり「自分だったかもしれない」という思いがあり、それが「うしろめたさ」に通じている
・自分はアフリカの飢餓に苦しむ子供にも「うしろめたさ」は感じる、「うしろめたさ」は他人と自分が関係があるという認識の上に生じる感情であり、悪いものではないのではないか?
・学校で「人が困っているときには助けなさい」と先生に教わった、そこから「助けなければ、でもなにもできない」ということがあって「うしろめたさ」がある。
・被災地の方にとっては自分の「うしろめたさ」などどうでもいいことである、と気づいたことから、「うしろめたさ」に対する考えが少し変わった。
・「うしろめたさ」は自分のなかの、自分に対する感情である
・その「うしろめたさ」が、将来の消費税の負担や復興の負担の理由として使われる場合についてはどう考えるか?

というようなものがあったかと思いました。

東京の哲学カフェに来られているみなさんは議論に協力的で、進行役がなにもしなくても「うしろめたさ」にどんどんフォーカスを当てていかれ、最後40分ほどはこの議論をしていたと思います。私は今回は進行役としてはほとんど働いていませんが、いつも進行をされている寺田さんがきっちり進行をされており、それが浸透しているのだな、という印象を持ちました。いろいろな方が参加してくれているので、常連さんにも進行をお願いしても大丈夫なのでは?という提案を寺田さんにはしておきました。
東京でも、今後震災に関連するテーマでの哲学カフェを継続的に開いていきたい、とのことです。

長くなりましたが、以上です。次回、七月に大阪、中之島では原発についての哲学カフェの企画が進行中です。スタッフ、進行役とも、原発について話しあうこと、考えること自体の難しさを実感しつつ、ただいまテーマを考えているところです。こちらのほうにも是非ご参加いただければ幸いです。

たかはし