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2011/07/22

グリグラ哲学カフェ「国歌は必要か?」

こんにちは、まつかわです。
明日は、大阪でシネマ哲学カフェですね。
私も朝からシネ・リーブル梅田の上映を観て、参加するつもりです。

その前に、先週のグリグラ哲学カフェの報告をしておかねば・・・。

7月19日(火) グリグラ哲学カフェ
こんなちいさなお客様も?
この日の参加者は11名。久しぶりの10人超え!うれしい。
メインはお母さん(子どもの年齢は1歳未満〜大学生まで)ですが、学生さんや、この春に定年退職をむかえたという男性もいらっしゃいました。

今回、いくつかのテーマから選ばれたのは、「国歌は必要か?」です。
少し前に、国旗・国歌に関するこんなニュースがありましたよね。
お母さんたちは、どんなふうに考えているのかきいてみたくて、進行役の私から提案させていただきました。
国旗と国歌両方とり挙げるのとややこしいので、今回は「国歌」を中心に考えることにしました。

いろんな意見がでましたが、大きな論点は二つ。「愛国心」に関する議論と、「なぜ、歌なの?」という問いです。

愛国心とは何か?
「国歌は愛国心を育てるために必要」という意見と、「国を愛することと国歌を愛することは異なる」という意見がでました。「日本を愛する」というとき、「日本」とは何を指しているのでしょうか? 日本の文化や産業? それとも日本の(という)シンボル? 愛国心がないと社会性は身つかないというけれど、じゃあ、それを「国」に限定する必要性はどこにあるの?・・・などなど、疑問が次々重なります。


なぜ、歌なのか?〜歌がもつ力〜
「君が代は、メロディが歌いにくくて、あまり好きじゃない」という人がいる一方で、「古今和歌集に由来するという歌詞は素敵だと思う。」という声もありました。そこから、「でも学校では意味を教えてくれない、どうして?」という疑問、「歌には、言葉を、その意味を知らせないまま、心に刷り込んでしまう力がある」という指摘、「歌詞の意味を知りたい。知ってから選びたい」という声がでてきました。

関心の高さと発言量は比例しない!?
私自身は、国歌を歌ったことも、学校で習ったこともありません。音楽の教科書の一番後のページに載っていた覚えはありますが、毎年教科書に載っているわりに一向に授業で取り上げられる気配がないので、不思議に思っていました。それが国歌=国の歌だと気づいたのは、新聞を読むようになってから(たぶん中学生のとき)です。

今回の哲学カフェでとても興味深かったのは、例のニュースに関心がないという人ほど、入学式や卒業式で国歌が歌われることを当たり前と感じていたことです。
どちらかというと私と同じように、国歌を歌ったことがない人のほうが、関心が高い。でも、国歌に関する経験がほとんど(TVのスポーツ観戦ぐらいしか)ない。だから、発言数はそんなに多くない。
「あまり関心がない」といってた人がたくさん発言する、ちょっとめずらしいカフェになりました。



国歌の意味や歴史的背景について、知識は必要?
もうひとつ、いつもとちがったのは、歴史的背景などの知識がないまま考えるのが難しいテーマだということ。実際に話し合ってみて、改めてそのことを実感しました。
でも、最後には、私たちが国歌について十分に知らない、その事実を「歌」という特性と結びつけて問題化できたは大きな成果だと思います。