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2011/06/28

セミナー「性・HIV 高校生からの投げかけ」

こんには、まつかわです。
先週金曜、6月24日の中之島哲学コレージュでは、大阪府立松原高校るるくめいとのみなさんをお招きし、HIVや性の問題について考えました。



クイズにはじまって
人形劇あり、

お芝居あり、

実習あり。

あの手この手でHIV/EIDSについてわかりやすく教えてくれる、るるくめいとのみなさん。
それをきっかけに、後半は、会場のみなさんも交えて・・・



「性について、公の場で語ることに抵抗があるのはどうしてだろう」
「性教育をすべき年齢って何歳ぐらいなんだろう?」
「避妊と性感染症、いっしょくたに語っていいのかな?」
「HIVに感染しないことと。パートナーときちんと話し合うこと。どっちが大事?」

などの問題について一緒に考えました。

様々な問いが次々に現れ、まとまりのない議論になってしまったかもしれません。
途中、進行役としてどれか一つに論点を絞るべきだろうか、と迷いました。
が、今回は、るるくの公演から、どんな問いが生まれるのか知りたい、そして、それをるるくのみなさんにも伝えたいという気持ちが勝りました。
来場者やゲストのみなさんの心に少しでも残る、今後も考え続けたいと思える問いがあればいいなと思います。

2011/06/25

8月のセミナー:予告編

まだ6月なのに真夏日和が続いていますね…。

さて、昨年8月にセミナー「哲学ファシリテーター入門」が開催されましたが、今年も8月にセミナー第3弾「哲学ファシリテーター入門2:対話の場をひらきたい人のために」が開催されます。また、会員限定企画「「哲学カウンセリングについて(仮)」も開催予定です。

いずれもまだお申込はまだ受け付けておりませんが、詳細が決まり次第お知らせします。昨年は多数の申し込みを頂戴しましたので、早く定員に達してしまうかもしれません・・・今後の更新情報に、注目!!

*昨年の様子は「哲学喫茶瓦版 2010年10月号」で報告を読むことができます。こちらのページからどうぞ。→ 哲学喫茶瓦版 バックナンバー

●8月20日(土)、21日(日)
「哲学ファシリテーター入門2-対話の場をひらきたい人のために」
昨年開催し、好評だったカフェフィロセミナー。今年も開催いたします。昨年受講された方も、今年はじめての方も、「哲学的対話」にご興味がある方なら誰でもご参加いただけます。
※詳細は決まりしだいホームページにてご案内いたします
会場:とよなか国際交流センター


●会員限定セミナー8月6日(土)「哲学カウンセリングについて(仮)」
ヨーロッパ諸国などで行われ、近年注目が集まっている哲学カウンセリング。それって何?どんなことをするの?という方のために、セミナーを開催します。受講者は、カフェフィロ会員の方に限ります。
講師:高橋綾(カフェフィロ代表)
※詳細は決まりしだいホームページにてご案内いたします
会場:とよなか国際交流センター

2011/06/18

中之島哲学コレージュ/新・哲学セミナー「ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』を読もう(1)」

こすがです。6月15日に開催された中之島哲学コレージュ/新・哲学セミナー「ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』を読もう(1)」の参加者の方々のご感想をいくつか紹介させていただきます。






「ツァラトゥストラは一通り読んでいたつもりであったが、
 細かいところか読み飛ばしてしまっていたところに気付かされた。たのしかったです。」


「むつかしいと思っていた本をおもしろく読む読み方を学べたと思います
 ありがとうございました」


「色んな人の、色んな読み方ができておもしろかったです。
 ニーチェの本を、もっと読みたいと思いました。」



「今日のお話があって、この本読める気がしました(スミマセン読まずに来ました)
 道化師がでてきて、ドラマがあって、ドキドキしました。恐かった…。
 次回も必ず来ます、今日は有難うございました。」



「親切な設営
 入りやすい雰囲気
 組み立ての妙に感服
 わかりやすく興味をそそる素晴らしいガイドツアーでした
 また機会を得て参加したいと思います」



参加者は52名と大盛況。感想も全体的に好評でした。

新しいチャレンジとしては成功だったのではないでしょうか。

2011/06/15

中之島哲学コレージュ/哲学カフェ「結婚したほうがいい?」

こすがです。
6月8日に開催された中之島哲学コレージュ/哲学カフェ「結婚したほうがいい?」の参加者の方々のご感想をいくつか紹介させていただきます。


「自分は結婚に反対・賛成どちらの立場も取らず参加して、周りでも結婚している人が少ないので、あまり話題に実感がわかずにいました。でも、段々となんとなくそれぞれの人の話の中で、自分の中でのリアルな話に変わっていったように思います。 結婚に関する損得のことはなんか聞いているとバカバカしくなってきました。メリットもデメリットもあるんだから婚姻届出す出さないで戦わなくてもいいのだと思うのだけれど… 掘り下げるのが哲学カフェなんですよね。もうちょっとついていけるよう粘ってみます!」

「○子供から見る結婚、親から見る結婚など色んな捉え方があるのだなと思いました。
○事実婚と法律婚のちがいがあいまいになってきました。どっちも制度をどうするかの問題でしかないなあと思います。
○いわゆる「デキ婚」の人たちは、どう考えて結婚を選んだのかな、と思いました。」


「男と女がひかれあうことは、抗いようのない生物としての本能なのだと思います。人間の場合、そのような雌雄の関係に、社会というものを築いてきたため、結婚という制度を置いただけだと思います。人間という生き物の生き物としての”性”と自分たちが作った”社会”という共同体の間の矛盾だと思います。」


「沢山の人の意見がきけてよかったです。こういう身近な日常の話をテーマにしてもらえると楽しいです。大変参考になりました。意義深かったです。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」


当日の参加者はなんと55名。
結婚というテーマに対する関心の高さが伺えました。
ご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。

2011/06/06

朝日新聞に、哲学カフェ@ふくしま

朝日新聞で、5月に開催された「てつがくカフェ@ふくしま」が取り上げられました。
カフェフィロ副代表、本間直樹もコメントを寄せています。


こちらから読めます。
朝日新聞HP「震災語る哲学カフェ 対話を重ね考え続ける場」

2011/06/03

メルマガ登録者&ブログアクセス数

まつかわです
ちょっと目を離したすきに、メルマガ登録者が600人を超えていました。
現在のメルマガ登録者は、622人です。
登録がまだの方はこちらからどうぞ。

そして、こちらのブログのほうは、一日100〜200名の方にアクセスしていただいております。
ただし、投稿のある日は、という限定つきですが・・・。
ちなみにページごとのアクセスランキング、ベスト3は以下のとおり。



2011/06/01

東京で震災についての哲学カフェをしました

たかはしです。
雨や風が強い日が多く、出かけるのがおっくうになることも多いですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

先週の土曜日、台風を予感させる雨降りのなか、東京で震災についての哲学カフェの進行をしてきましたので、その報告です。

人数は25人ほどだったと思います。いつも主催進行をされているカフェフィロ東京支部の寺田さんによると、2/3くらいの人がよく来る方かその方のお知り合いで1/3くらいの方が初参加の方だそうです。
大阪の哲学カフェと同じように、今回は一つのテーマについて議論するというよりも、みなさんが感じられたことをどんなことでもいいので聞かせてもらって、今後の議論のテーマとしたいということをお話し、カフェを始めました。テーマは大阪と同じ、「今震災について私たちが考えたいこと」でした。

全体の印象としては、関東在住の方はご自身被災された、被害にあったと思っているというより、東北で被災され、大変な思いをしておられるみなさんとご自分との距離、ということをいろいろ考えておられるのだなという印象を持ちました。何人か、東北に故郷がある、いま東北地方に住んでいる、ボランティアで現地に行ったというような方も来てくださっていましたが、そうした方でも、ご自身の経験にある程度距離を保って言語化されているという印象をもちました。

みなさんの意見、関心が集中したのは

(1)他人の苦しみによりそう、ということはどういうことか/被災地に「行く」「見る」べきなのか?
(2)「現実感」とはなにか/「本当のこと」「本当に経験する」とはどういうことか?
(3)「うしろめたさ」はどこから来るのか?

というような点だったと思います。

(1)に関しては、大きな被害に苦しむ人がいるときに、自分はどのような態度、行動をすればいいのかということを巡って、自粛のこと、被災地の人とそこから遠いところにいる人の感じ方に落差があること、そのような落差のなかで、支援や関わりをする、というのはどういうことなのか、ということについて意見が出ました。
愛知から来られたボランティア活動に関わっておられる方の「東京は東北に近いのだから、もっと被災地に行ってほしいなあ」という意見から他の方が「自分は自己満足になるのが嫌だということもあり、あえて被災地には行かないことを選択した」という意見を出され、「被災地に行く」ということがどういう意味を持つのか、被災地を「見る被」「経験する」、被災地に「行く」などが誰のためのどのような行為なのか、ということについて話し合われました。これは物理的に簡単には被災地に行けない関西では出なかった論点でした

(2)については、自分でも地震は感じたが、東北の大きな被害についてはテレビや報道を通じてしか知ることができないので、この出来事の「現実感」が感じられない、「現実感」って何なのだろう、という問いや福島に住む親族はあまり原発のことを話題にしたがらなくて、むしろ知らないでいたいと思っている節があるという話から原発に近い人が「本当のこと」を知りたい、知っているわけではない、しかしそれは知るべきではないかという問いやそもそも「本当のこと」とか、何かを「本当に経験する」とか言うことはどういうことなのかという話につながりました。

(3)については、多くの方が、被災された方に対して「うしろめたさ」を感じる、という意見があり、そこから「うしろめたさ」はどこから来るのか、について話がなされました。私が覚えている意見では

ふだんは他人の死に対してうしろめたいと思うことはあまりないが、今回は被災地と距離が近いところに住んでいることもあり「自分だったかもしれない」という思いがあり、それが「うしろめたさ」に通じている
・自分はアフリカの飢餓に苦しむ子供にも「うしろめたさ」は感じる、「うしろめたさ」は他人と自分が関係があるという認識の上に生じる感情であり、悪いものではないのではないか?
・学校で「人が困っているときには助けなさい」と先生に教わった、そこから「助けなければ、でもなにもできない」ということがあって「うしろめたさ」がある。
・被災地の方にとっては自分の「うしろめたさ」などどうでもいいことである、と気づいたことから、「うしろめたさ」に対する考えが少し変わった。
・「うしろめたさ」は自分のなかの、自分に対する感情である
・その「うしろめたさ」が、将来の消費税の負担や復興の負担の理由として使われる場合についてはどう考えるか?

というようなものがあったかと思いました。

東京の哲学カフェに来られているみなさんは議論に協力的で、進行役がなにもしなくても「うしろめたさ」にどんどんフォーカスを当てていかれ、最後40分ほどはこの議論をしていたと思います。私は今回は進行役としてはほとんど働いていませんが、いつも進行をされている寺田さんがきっちり進行をされており、それが浸透しているのだな、という印象を持ちました。いろいろな方が参加してくれているので、常連さんにも進行をお願いしても大丈夫なのでは?という提案を寺田さんにはしておきました。
東京でも、今後震災に関連するテーマでの哲学カフェを継続的に開いていきたい、とのことです。

長くなりましたが、以上です。次回、七月に大阪、中之島では原発についての哲学カフェの企画が進行中です。スタッフ、進行役とも、原発について話しあうこと、考えること自体の難しさを実感しつつ、ただいまテーマを考えているところです。こちらのほうにも是非ご参加いただければ幸いです。

たかはし