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2012/12/05

リビングウィルを考える〜自己決定って???

こんにちは、まつかわです。
先週金曜日は、中之島哲学コレージュでした。
「患者のウェル・リビングを考える会」代表の藤本さんをお招きし、セミナー「リビングウィルを考える」を開催しました。



藤本さんにはこれまでにも何度かリビングウィルに関するセミナーをしていただきましたが、ここ何回かPEGやガンの問題にしぼっていただいてましたが、今回はリビングウィルそのものにスポットを当てていただきました。
遺言書やエンディングノートとのちがいもふくめた説明のあと、会場から質問や感想が投げかけられました。



「リビングウィルを書いても希望どおりになるとはかぎらない」 
「実際に死を前にしたときの気持ちはそうなってみないとわからないのでは」 
「いま自分が決めたことが将来の自分にとっていいことか自信がない。責任をとるのが怖い」 
「日々接している家族や医師には患者本人の希望が伝わっていても、遠くの親戚がそれに反対して訴訟になることがある。医師も訴訟が恐くて、患者の希望を叶えられないことがある」

そんな声をききながら、藤本さんが参加者と一緒に考えたいとおっしゃっていた「自己決定」について、私は「自己決定って他者への優しさがないとできないんだな。自分の希望を叶えるというより、自分で負うべき責任を大切な人に負わせないためのものなんだ」なんてことを考えました。

また、もうひとりのカフェマスター、浜渦さんの言葉「死というものにどういう印象をもっているか、その人がそれまでにどんなふうに死を経験してきたか、も大きく影響するのでは」という言葉も印象的でした。

会場から「リビングウィルを書いててよかったというケースにはどんな場合があるのか教えてほしい」という質問に対して、会場でのやりとりでは「リビングウィルを書いればあんなに困らなかったのに」という実例ばかりが出てしまいましたが、終了後、ウェル・リビングの会の方がこんな話を思い出してくれました。
ある乳がん患者さんが、リビングウィルに「これ以上できることがないとなったら自宅に帰りたい」と書いていたおかげで、最期を自宅で迎えることができた。自宅に帰ったのは亡くなる3日前だったそうです。

「セミナーに参加して、もっと深く知りたくなった」「セミナーに参加できなかったけど関心はある」というかたは、「患者のウェル・リビングを考える会」のサイトをご覧ください。