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2013/07/02

報告:哲学カフェ「野良猫とどう付き合うか?」

三浦です。
先週の土曜日に猫カフェCats Galleryで行なった哲学カフェ(別名ネコトーーク)の報告を、テーマ提案者かつ進行役の安田さんが書いてくれましたので、代理で投稿させてもらいます。


哲学カフェ@名古屋のネコトーークシリーズ、今回のテーマは「野良猫とどう付き合うか?」でした。テーマ提案者は私、安田です。自分の家の近所で実際に起こった野良猫をめぐるトラブルをもとに提案させてもらいました。

当日の議論はいくつかに整理できそうな複数の話題の流れの間を行きつ戻りつしながら進みました。テーマ提案者の立場から今回のテーマに沿った話題をレポートするつもりでしたが、しかし、振り返るにつれ、当日のトークで生まれた一つの議論の示唆の深さに改めてうなってしまいました。本来のテーマに沿った対話の中で起きた議論ではないのですが。。今回、是非これをレポートさせてください。

さて、問題の議論が始まったのは、どなたかが、
 
「野良猫はよく見るけど野良犬はこのごろは見かけなくなった。なぜ?」
と、ふと問いかけたところからです。この質問に対し、
 
「野良犬を放置しておくと人を噛むなど直接の害があるのに対し、野良猫はたいてい人を見れば逃げるのであまり人に害を及ぼさない。だから野良犬はすぐ捕獲されてしまうのでいなくなる一方、野良猫は放置されて問題化しやすいのでは。」
という分析意見が出ました。そして、この分析に対し、一方から
 
「人に害をなすから(犬は)捕獲する(=人に害がないから猫は捕獲しない)、というのもどうかと思う。そう考えると、(野良動物を)排除するのも飼うのも、(人の都合だけで動物の運命を決めてしまう点では)同じことかもしれない。飼うのだってもしかしたらかわいそうなことをしているのかもしれない。」
という感想が出たかと思えば、もう一方では
 
「(飼うのを)かわいそうと思うのは、人間側の思い込みかもしれない。動物病院で働いていた経験からいうと、飼い主が本当に大好きな動物もいる。かわいそうとは一概にいえない。」
などの反対意見も出ました。こうしてトークは「野良猫とどう付き合うか」というテーマを離れ、「何が本当に猫たちの幸せか」のような方向に進みました。

ということは、このときの私たちは
1.ある種の動物たちは、人間が一方的に自己都合で使ってその幸せを踏みにじってはならない。(ある種の「幸せになる権利」がある。)
2.猫はその種の動物である。
3.したがって、野良猫たちとの付き合い方を考える上では、彼らのその「権利」を踏みにじらない付き合い方を探すべきである。
のような理路で考え、3の前提のもとで話していた、ということだと思います。あたかも、「野良猫とどう付き合うか」という質問が引き金になって、この1,2,3が自動的に私たちの議論の前提として設定されてしまったかのように。。。

この後、話題は転々と移りましたが、「一周」してまたこの話題に戻りました。ただ、
 
「猫たちが話せたらなあ」
という慨嘆による、一種のジレンマの吐露という形で。つまり、「相手の『幸せになる権利』を踏みにじらないで付き合おう」という前提で付き合い方を考えているのに、当の相手が言葉が話せない相手である、ということに、問題の本質とジレンマを、私たちは見つけたわけです。踏みにじらないためには、話し合って、相手の納得(インフォームド・コンセント?)を得た上で付き合い方を決めるべきなのに、相手が話せない以上、納得を得ることはできない、というジレンマです。

本当はこのほかにももっといろいろな話題が出ました。しかし、私としてはこのジレンマにいたるまでのトークの理路(1,2,3の前提)とこのジレンマそのものが一番印象に残ったので、レポートさせてもらいました。

「べき論」を論じるいわゆる倫理の文脈では、私たちは、いつのまにか「幸せになる権利」を互いに有する個体たちからなるコミュニティ(私たち自身を含むコミュニティ)を想定し、そして「互いのその権利を公平に尊重しあうこと」のような倫理原則を最高原理か唯一無二の原理であるかのように前提にしてしまうくせがあるようです。あまりに当たり前なので、そうと自覚するでもなく。そして、私たちのジレンマが示すように、この原理に則って実際の倫理問題を処理するためには、関わっている「当事者」たちが全員言葉を話せることが前提になります。これが基本です。なので、猫のように言葉を話すことが出来ない対象のことを何かの理由でこの「倫理のコミュニティ」に入れるべき、と思ってしまった時に、私たちはこのようなジレンマにぶつかる、、、ということのようです。
 
これを読んだ皆さんはどう思われますか?このような考え方の中に出てくる「幸せ」とは、「権利」とは、「公平」とは、一体何でしょう?そして、「言葉」は、これらと一体どう関わるのでしょう?
春に湯布院で見かけた野良猫。
その眼は何を語りかけている?