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2013/07/10

後悔するぐらいなら、行動したほうがよいのか?2

まつかわです。
本日2回目の投稿。

「人はどんなときに後悔するのか」をめぐって議論が展開した、7月9日グリーングラスの哲学カフェ。
に引き続き、特に議論が集中した3つのポイントをご紹介しましょう。

1.人が後悔するときの規準・条件は?

「マイナスの結果、失敗」、「全くできないことなら後悔しないけれど、『やればできたかも』と可能性があることは後悔する」、「よく考えたかどうか」など、いくつかの仮説が提示されました。
どんなときに後悔したか語っていると、同じ出来事・結果が起こっても、後悔する人としない人がいることがわかります。そこから、「後悔する/しないの規準は人それぞれ、自分のなかにあるのでは?」という意見がでました。一方で、「『いい学校を選ばないと後悔するよ』と世間の規準で後悔させられることもあってイヤだ」という方も・・・。

2.後悔と学習

もう一つ「後悔」について考えるきかっけとなったのは、「うちの夫は後悔もしないけど、学習もしない」という言葉。「こうしておけばよかった」と後悔したら、学習して、次は気をつけるようになる。後悔は学習を可能にし、その積み重ねによって、後悔することは減っていくのではないか、というわけです。
「いままで後悔ってマイナスのイメージしかなかったけれど、『学習しない』ってことは、後悔したほうがいいんかなぁ」
「でも、『失敗は成功のモト』とはいうけど、『後悔は成功のモト』とは言わないよね? だったら、後悔はしなくてもいいんじゃないの?」

3.行動する/しないってどういうこと?

「行動しないことによる後悔より、行動したことによる後悔のほうが大きいから、行動しないことを選ぶことが多い」。そんな声に対して「『しない』という選択も、『選択した』という意味では「行動した」と言えるのでは?」という意見もでました。
でも、もしそう言えるとしたら、その場合、「行動しない」とはどのような事態を指すのでしょうか?

この問いにはっきりと答えることはできませんでしたが、みなさんの話をきくなかで、ひとつ気づかされたことがありました。

たとえば、ある物を買うかどうか迷っているとき。
「買う」という選択をした場合、一見「行動した」ようにみえます。でも、実は、迷ったり考え続けることに耐えきれなくなって、「迷う、考えることを放棄する」ためにそれを買ったのだとしたら? それは「する」という選択というより、「しない」という選択と言えるかもしれません。(私の場合、こうやって後悔することが多い気がします。)
逆に、「買わない」という選択は、「引き続き考える」か「もっといい服を探す」ということを引き続き「する」という選択かもしれない。

何かを「した」ように見える行為が、何かを「しない」という選択である可能性。
他の方がどう感じたかじっくり聞く時間はありませんでしたが、私にとって、これは大きな発見でした。

実は私、「迷ってるんだったら、買いなさい」「やらずに後悔しないように、できることはなんでもやりなさい」と言われるのが苦手なんです。
買物でも、病気の治療でも。
やらないで後悔するよりやって後悔することのほうが圧倒的に多くて・・・。
だけどそういうとき私のなかにあるのは、「したくない」というネガティブな気持ちではなく、むしろ「もっと納得いくまで迷ったり、納得いくまで考えたかった」という気持ちのような気がします。
周囲の人からみたら、優柔不断で悩む時間がもったいなくみえるだろうけれど、納得いくまで迷ったり考える時間が奪われることに、(元気がないときは難しいけれど)ちゃんと抵抗できるようになりたいと思いました。

次回のグリーングラスの哲学カフェ


  • 日 時:8月27日(火)10:30-12:00です。
  • 場 所:神戸市北区子育て支援センター
  • テーマ:当日、参加者から募ります。
  • 参加費:300円

どなたでも参加できます。
どうぞ気軽にご参加ください。