ページ

2013/09/06

政府がなかったらどうなってしまうのか?〜前半

こんにちは、まつかわです。

8月27日、さする庵にて「対話する哲学教室」を開催しました。
第4回目となる今回のテーマは、「政府がなかったらどうなってしまうのか」(第12章)。
政治系のテーマのせいか、夏だからか、申込の出足はいつもより遅め。
でも、最終的には13名とちょうどよい人数の参加者が集まり、ほっとしました。

みなさんの意見をききながら、なにやら考え込む私。


前半はいつもどおり、テキストの章の冒頭にある対話を読んで、みんなで議論。
今回は、貧しい学生に対するバス運賃の補助金が打ち切られそうになり、補助金が復活するまでバスチケットを買わないよう人々に訴える活動をする隆史と優香の対話でした。
テキストをお持ちの方は、110〜111ページをどうぞ。)

なかでも批判が集中したのが、隆史のこのセリフ。

「でも優香、アメリカやドイツでは、市民の不服従は憲法で認められているんだよ。法律を破るっていっても、ちゃんとした理由があるんだ。じつをいうとぼくは、「これで十分だ」なんて思っていない。テレビのレポーターに興味をもたせるためには、窓を何枚か叩き割るべきなのかもしれない。さぁ、やっちゃおうぜ!」(『中学生からの対話する哲学教室』P.110)

改めて、よくもこんなに意見の分かれるツッコミどころを織り込めるなぁと感心しつつ・・・
特に下線を引いた箇所について、反対派と擁護派が持論を展開します。

「理由があるからって、法律を破っていいんか?」という意見と、「でも、正攻法でどうにもならない状況、やむをえない状況っていうのはある」という意見。

「テレビのレポーターに興味をもたせるためにっていうのはちがうと思う」という意見と、「世論を動かすためには、合理的な方法だ」という意見。

このふたつは、「政治とは何か?」をめぐる問題ですね。
通常の投票による政治で解決できない問題があるとき、どうするか?
これは、マイノリティの問題を考えるうえでも重要です。

それから、もちろん、「窓を叩き割るべき」という隆史に対して、「他はともかく、暴力だけは絶対ダメ」という声があちこちあらあがりました。
こちらは、「暴力とは何か?」「迷惑をかけるとはどういうことか?」という、基本的な社会生活や共生に関わる論点に関わりますね。
窓を叩き割るのは確かに暴力的な行為と言えそうですが、常々、「何が暴力で何が迷惑かの線引きは難しいな」と感じている私は、こんな質問をみなさんに投げかけてみました。

「みなさんが通勤に使っているバスあるいは電車で、学割が打ち切られることになったとします。隆史や優香のような学割復活を訴える運動家に、『学割が復活するまでそのバス(電車)を使わないで』とお願いされたら、みなさんはそのとおりにしますか?」
みなさんなら、この質問にどう答えるでしょう?


長くなったので、続きはまた次回にします。