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2013/10/28

哲学カフェ「譲れないこと」

こんにちは、まつかわです。
昨日は岡山大学まちなかキャンパス、城下ステーションにて哲学カフェを開催しました。
岡山で対話活動をはじめて1年になります。早いなぁ。

今回のテーマは「譲れないこと」。
10名ほどの方が参加されました。

いろんな「譲れないこと」「譲れないもの」がでてくるかなと思ったら、「これが譲れない」という具体的な話はそれほど出ず。
「譲れないことをどういうふうに伝えたらいいのだろう」、「譲れないことがあるっていいことだろうか」、「『譲れない』ということと、『嫌だ』と思うことは同じか」などなど、「譲れないこと」をめぐる様々な問題についていろんな意見がでました。

友だちや家族に誘われて初めて参加される方も何人かいて、途中で、「これって何のために話し合うの?結論は出すの?」といった哲学カフェに関する疑問が出たり、それに答えたながら、もう一度どの論点を話すべきか考えてみたり。

個人的に特に印象に残ったのは、「譲れないことを、言葉にしたくない」という意見です。
最初のうちは、「でも、これが譲れないということは言葉にしてもらわないと、どうしたらいいのかわからない」という方と同じ考えだったのですが、「わかりやすすぎるスローガンを掲げて活動する集団は、スローガンが一人歩きしてしまいそうでちょっと怖い」「言葉にすることでそぎ落とされてしまうこともあるのでは」といった声をきくうちに、それも一理あるなぁというふうに考えが変わってきました。(そういえば、「一理ある」という言い方は「譲る」とはちがうという意見もありましたね。)
とはいえ、たとえばカフェフィロのような非営利団体では、ミッションを言語化しないと何をして何をしないかの判断基準がぶれて支障がでてしまうし・・・。
自分なりに仮の答えは出せたものの、もうちょっと考えてみたい点です。

他には、「百歩譲って」という枕詞に関する議論や、岡山大学の先生(哲学カフェがお気に入りでほぼ毎回参加してくださってます)の「譲り合いを大切にするコミュニティは譲らない人を許さない」という研究のお話、そこから展開した「譲る関係性」と「譲らない関係性」のちがいに関する話も面白かったです。
本当にいろんな切り口がでて、あっというまの2時間でした。

次回、岡山の哲学カフェのテーマは「記念日」の予定です。
が、まだ日程が決まっていません。すみません。
決まり次第、カフェフィロのHPでお知らせします。

明日は、大阪で「対話する哲学教室」です。
テーマは、「“アート”の目的とはなにか」。
アリストテレスとニーチェの芸術論を紹介します。
直前ですが、まだ少し残席あるようです。
お申し込みがまだの方は会場のさする庵にお問い合わせください。