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2013/11/14

11/12 グリグラ哲学“毛糸”カフェ報告

液晶画面からこんにちは。behbluesです。

グリーングラスでは、今月から隔月ですこし毛色のちがう哲学カフェもはじまりました。
コミュニティボールと呼ばれる、毛糸のボールを使う哲学カフェです。
今回は、このコミュニティボール作りをしました。
参加者は7名。

ボール作りは、それぞれがお互いにむけて出した質問に答えながら
毛糸を巻きつける作業で始まります。
今回の問いは、
『1日のなかで好きな時間は?』と、『1日のなかで大切にしている時間は?』
という、似たような質問が並んで出たりもしました。新鮮!
めったにないケースではないかと思いますが、
それぞれが質問をどう捉えるのか、というところも含め、おもしろかったですよ。

ボールができてからは、最近考えていること、気になっていることを話し合い、
それからその考えていること、気になっていることを、
みんなで問いのかたちにひらいていく練習をしました。
それぞれのもやもやから、
・不公平さについてどう思うか?
・大人になったから分かることとは何か?
・どのような国なら信頼できるか?
・信頼できる国をつくるにはどうすればよいか?
・害があると分かっていてもやめられないのはなぜか?
・親が子を犠牲にして(?)自分のしたいことをするのは悪か?
という問いができました。

話し足りないとフラストレーションがたまるよ〜、という意見もあったので、
短い時間だけでしたが1つ選んで対話をしました。
選ばれた問いは、
『親が子を犠牲にして(?)自分のしたいことをするのは悪か?』でした。

いつものグリグラ哲学カフェでは、テーマについてどんどん深まっていく感じがしますが、
この毛糸カフェでは自分について深くまでもぐっていけるといいなと考えています。
そのために、わたしはこのグリグラ哲学毛糸カフェでは、
問いをたてる作業を丁寧にしたいと思っています。
だれか(自分も含めて)が話してくれたことから考え始めるとき、
哲学というかアドバイスの方向に近くなってしまうことがあります。
問いの形にするということは、
誰かの問題に直に分け入っていくのではなく、
「わたしは」と考え始めるために、とても有効なものだと思うのです。

どんなものについても、「わたしは」と考え始める態度。
「哲学とはなにか」に正解はないと思うけれど、
わたしにとってはそのような態度こそが哲学であるような感じがします。

それでは、液晶画面からごきげんよう。