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2013/12/16

遺言は守るべきか?

こんにちは、まつかわです。
明日の哲学教室の前に、先週の哲学カフェの報告をしておきましょう。

先週12月10日は、神戸市北区子育て支援センターにて、グリーングラスの哲学カフェでした。
参加者は、最初3名と少なかったのですが、途中から増えて7名。
テーマは、「遺言は守るべきか」でした。

1)お墓はむずかしい
遺言に書くことといっても、葬儀のこと、相続のこと、いろいろあると思いますが、今回特に話題が集中したのは、お墓のことでした。

  • お墓の場所についてお父さんとお母さんの意見が合わない場合、どうすべき?
  • 故人が希望するお墓の場所が、めったに行けないような場所の場合は?
  • 誰がお墓を守っていくのか?
  • お金の問題は?
  • 分骨というテもあるけど、そうすると管理しなければならないお墓が増えてしまう。
  • いやいや、本当の問題はお墓ではなく遺骨なんじゃないか。

本当にいろんな問題が次々にでてきました。
特に、問題が集中したのは、お墓についての決定権は誰がもつのかという点です。
そのお墓で眠る故人にあるのか、お金を出してお墓を建てる人が決めればいいのか、管理したりお参りする人の意見を尊重したほうがよいのか。考えれば考えるほど難しい問題でした。

2)故人の意志
もうひとつ、お墓に関わらず遺言全般の問いとしてあがったのは、故人の意志を尊重するには、どのような条件が必要かという点です。
最初にテーマを提案した方は、「生前の強い意志は遺族によって法律より強いもの」と断言する一方で、「故人の意志を尊重したいけど、できないこともある」という現実を指摘してくれました。
「突拍子もない遺言は守らなくてもいいのでは」
「子どもを悩ますのはワガママだと思う」
そんな声もありました。
また、遺言といっても法的効力のあるものもあれば、ないものもあるでしょう(ちなみに、法律的には「遺言」は「ゆいごん」ではなく「いごん」と読むそうです)。書面にしたためられない故人の意志というものもあります。この点について、「法的な効力のある遺言だけが遺言だとは思わない」という点では参加者のあいだで意見の相違はありません。ただ、「口に出したこと、紙に書かれたことだけが故人の意志の全てではないのでは」という意見がある一方で「世間話のように話されたことを遺言と認めるのは無理がある」という意見もありました。

3)あっちをたてれば、こっちがたたず
結局これってどういう問題なのでしょう?
哲学カフェも架橋に入り、ぽつりとでてきたのはこんな言葉です。
「結局、あっちをたてれば、こっちがたたずなんよ」
あっちをたてれば、こっちがたたず。
そんな問題はたくさんあります。でも、お墓の問題はその最たるものかもしれません。
今回の哲学カフェでは、お墓にまつわる現実的で複雑な事情について意見を交わしながら、「異なる意見や事情をもつ関係者間でどうやったら納得のいく決定を下すことができるか」という大きな問いについても考えることができたのではないでしょうか。


次回グリーングラスの哲学カフェは、1月14日。
桂ノ口さんの進行で、哲学"毛糸ボール"カフェを行います。
テーマについてあれこれ話し合う普通の哲学カフェとはちょっとちがって、テーマに制限されず自分を見つめる時間になるでしょう。
どうぞお楽しみに。