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2014/03/05

哲学カフェ「夫婦とは?」

こんにちは、まつかわです。
報告の順番がめちゃくちゃですが、今日は、2月25日にグリーングラスで開催した哲学カフェの報告です。

⚫︎夫婦とは?
この日のテーマは「夫婦とは?」
グリグラで夫婦系のテーマをとりあげるのは3度目です。
最初は哲学カフェをはじめた2004年。そのときとは「夫はどうあるべきか?」(!)というテーマに続く流れで「夫婦はどうあるべきか」について話し合いました。
また何年か前に「結婚と同棲」というテーマでやりましたね。
今回は「結婚と同棲はどうちがうといった制度的なことではなく、もっと精神的なこと…子どもの手が離れて、共通の話題や趣味がない、それでも夫婦で一緒にいる意味って何なのか考えてみたい」ということで提案されました。

⚫︎夫婦をむすびつける様々なもの
偶然なのかテーマ提案者がこの機会を狙っていたからなのか、この日の参加者は全員が既婚女性。「夫婦で一緒にいる理由は?」という問いに、実感のこもった答えが次々出てきました。

「奥さん」は守られている
離れたら不利だから一緒にいるの?
共通の趣味・話題は必要?
子どもがいたら「仕事」だけど…
すっぴんでいられる安心感
病気のとき看病してほしい人
弱さを見せられる(自分の弱さを弱さとしてもっていられる)
唯一血のつながってない家族
家族でも他人でもない
愛ではなく情

…と、多種多様な夫婦を結びつけるものが出てきました。
人によって、夫婦によって、夫婦で一緒にいる理由はかなりちがうようです。
また、別居婚、家庭内別居、死別…と、夫婦のあり方も様々であるというしてきもありました。

⚫︎どんな夫婦にも共通する条件は?
はたしてこれらすべての夫婦に共通する夫婦の絶対条件はあるか?
後半はこれについて3つの仮説が検討されました。

⑴社会から夫婦として認められていること
「社会から夫婦として認められてるってどういうこと?」という問いかけに、「公的な場に連れて行ける」「『奥さん』という立場」のほか
ただ、「社会的には認められてなくても、本人たちが夫婦と思ってる場合はやはり夫婦なのでは?」という意見もありました。

⑵少なくとも本人たちはお互いに「夫婦である」と思っていること
こちらは、今回の参加者の実感にはあっているようでしたが、一つ反例があげられました。
曰く、「別居婚でも家庭内別居でも籍をいれてなくても、お互いが夫婦と思ってれば夫婦だと思う。でも、死別してる場合?亡くなってる方が『思う』ことができるかどうか疑問。でも、それでも夫婦ではある」と。

もうひとつおもしろかった候補が…

⑶別れることができる
これも死別したら無理じゃないかとか、恋人や友達にも当てはまってしまうとか、夫婦の絶対条件としては不十分ですが、「別れれられるのに一緒にいる」という点で関係の奥深さを感じさせられる視点でした。

結局、夫婦の絶対条件といえるようなものは見つかりませんでしたが、夫婦のあり方、結びつきの多様さに気づかされ、実感のこもった声が印象的な回でした。
個人的には「夫婦とはこういうもの」という認識が夫婦間で一致しないという問題をはっきり自覚できたのが収穫でした。




次回グリーングラスの哲学カフェは3月11日です。詳しくはカフェフィロHPをご覧ください。
「お母さん」の参加も「お母さん」以外の参加も大歓迎です。

なお、神戸市北区子育て支援センターでの哲学カフェは、センターの都合で次回が最後になります。
4月からは会場が変わります。詳細はまた後日お知らせします。
元幼稚園の子育て支援センターの雰囲気を味わいたい方は、ぜひ3月の哲学カフェにお越しください。