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2014/06/05

信じるって必要?

こんにちは、まつかわです。
昨日、さする庵でテツドク!に参加された方、おつかれさまでした。

今日はこれからグリーングラスの哲学カフェです。
その前に前回、5月1日(木)のご報告を・・・

グリーングラスの哲学カフェでは、毎回参加者からテーマを募っています。

5つのテーマが提案され、選ばれたのは…


「信じるって必要?」でした。

(この写真をfacebookにアップしたら、夫に「『スッピンは失礼か?』がよかったー(>_<)」と言われました。うん、でも、「信じるって必要?」もおもしろかったよ。)



●信じないほうが賢い?
最初に、韓国のフェリー事故や食品偽装、インターネットの情報の信憑性、あるいは子どものちょっとした嘘など、たくさんの例を通して、信じることの危険性が指摘されました。そこから、「何をもって人は何かを信じるのか」、「信じる/信じないの判断をどうやってすべきか」、といった問いがでてきました。それについて、「根拠を見つけるまでは考えてる。考えているうちは、まだ信じていないのではないか」、「限界まで考えたら、『これだけやってんねんから間違えてもしゃーない』と丸投げするしかない」といった意見がでました。

●信じることは賭け?
いくつかの問いのなかで特に意見がわかれたのは、「人は何も信じずに生活できるか?」という問いでした。信じることにはリスクもあるけれど、疑っているとキリがない。人は生きるうえで何かを選択せざるをえないし、何かを選択するとき、そこには何らかの信頼=賭けがあるのではないかとも考えられます。しかし、その一方で、「もしそこに何らかのリスクがあると思っているなら、それは本当に“信じている”ということにはならないのでは? 本当に信じきっているときには、疑いは生じないので、“賭け”にはならないはず」という意見もありました。

●信じたい気持ちはどこからくるのか?
さらに「子どもが一度ちょっとした嘘をついていることがわかってから、子どもが信じられなくなっている自分がイヤ」という声もありました。私たちの心のうちには「信じたい」という気持ちがあるのかもしれません。この「信じたい」という気持ちについて、考えるうえで特に参考になったのが、「市場では相手を信じて安心して買物できるけれど、スーパーマーケットで買物をするときは自分を信じる」という話でした。
「スーパ―マーケットで魚を買うときは、置いてあるもの全部の状態がいいとは信じられなくて選択肢が狭くなってしまう。でも、市場の魚屋さんで買物するときは、魚屋さんの目利きを信じているから、そのお店にあるものならなんでも買える。相手を信じるほうがラクだし、自由になれる」
そこから、相手を信じることにはある種の解放感(ゆるみ)が伴うということが指摘されました。

私たちの日々の選択のなかにある「信じる」について、じっくり考える2時間となりました。


さて、今日のテーマはどうなるか。
楽しみです。