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2015/02/19

「主婦・主夫は無職か?」グリグラ哲学カフェ(2/18)

液晶画面からこんにちは。かつらのぐちです。

昨日(2/18)のグリグラ哲学カフェで取り上げられたテーマは
「主婦・主夫は無職か?」
参加者は12名。中にはもちろん主婦・主夫ではない方もいらっしゃいましたが、
どの立場からも、人ごとではない「主婦・主夫」について話されていたように思います。

出ていた話題から、気になったところを報告してみますね。



● 「見えにくい」労働は勝手に範囲を広げられやすい
主婦・主夫の仕事は見えにくい。
これは、家の外の者からだけでなく、家の中、家族からもです。
「無職」ということばが前提としている「職業」というのは、
人が見て分かる労働ではないかという仮説が出ました。

見える労働である「職業」に対して、
見えにくい・見えない労働は「無職」ともいえるけれど、
さらに「身分」「役割」といったことばもあてがわれるのではないか。

見えにくい、分かりにくいというのは
「これは主婦・主夫の仕事である/ない」という領域があいまいだとも言えます。
そのため、それも「分」や「役」のうちだろう と、
労働の種類や量が、際限なく増やされてゆく可能性がある。
(たとえば「介護も主婦・主夫の仕事のうち」等々)
「このしくみは、“部長”という役職と同じだ」と発見なさった方もいらっしゃいました。

● 基準がないと、対価もない?
さきほど、主婦・主夫の仕事には明確な領域がないという話を書きましたが、
領域だけでなく基準もあいまいだと言えます。
ここでいう基準には大きく2つの意味があります。

1つは、個々の労働作業内容についての基準。そしてもう1つは、評価基準です。

たとえば「今日何をするか」。どこを見て、どれを選ぶか。
「汚れている部屋をきれいにする」を選んだとしても、
どのくらい時間をかけ、どの程度をめざし、達成しているかをどう図ればいいのか。
そこに明確な基準などなく、各主婦・主夫が考えることになります。
これは「好きなことを好きなようにやっている」と表現することもできる。
そうだとしたら、確かに家の仕事はしているとしても、
効率化や能率化の面から考えて「プロ」とは言えないので、「無職」と表現されてもしかたがないのかもしれない…。

この話の時には、姫路で自然農をやってらっしゃる方から、
農業の世界でも同じようなことが言える、というお話が出ました。
こだわって自分なりの方法で多品種をつくるやり方は、
効率や能率を重視したやり方=結果としてお金にもなるやり方とは異なり、収入にも繋がりにくい。
農法は収入に繋がり、さらに収入によって農協から“農家”と認めてもらえるかどうかが変わるのだそうです。

ここでの「プロではない」と自分をみなしたり誰かから見なされたりすることは、
「対価が分からない」ということにも繋がっているようでした。
労働について、現金収入の多寡を基準にしていない場合、
いったい他にどのような「対価」を求めればよいのか?
そもそも「対価」は存在するのか?

この問いに対する仮説については、今日は割愛。

● 家のしごとは、誰も知らない
主婦・主夫には、「気がついたらなっていた」「契約があるわけではないから…」ということばが出ていました。
最初のほうで、主婦・主夫の労働は見えにくいと書きましたが、
その労働の内実を知らないのは、じつは主婦・主夫自身だって、大抵の場合、同じです。
自分が主婦・主夫と呼ばれる立場になるまでは、見えていないのです。

家事のお手伝いはしたことがあったり、
一人暮らしで自分の家の仕事を自分でしたりしていても
(そういえば、「1人暮らしで自分の家のことをしていてもそれは主婦・主夫とは呼ばれない」という話も出ていました)
他者を含んだ家の中の仕事を、短いスパン×長いスパン両方の視野をもってやってみる機会というのは、じつは大抵の場合ありません。

「職業」と違って体験してみる機会などなく、
それぞれなんとなく、自分の過ごした家の中にすでにいる主婦・主夫のイメージをぼんやりと持っているだけ。
そして異なるイメージを持つ者どうしが新しい家をつくって暮らすことになる。

この再生産を防ぐために、「主婦・主夫の仕事」という視点をいったん外して
「家の仕事」と捉え直した上で、
「自分のことは自分でする」という原則をかたがわりしているのが、
主婦・主夫なんだということを、少なくともできるだけ隠さないようにするのがよいのではないか、という仮説が出ていました。

●今回は話してみて、最後に以下の「お土産の問い」が出ました。
・無職ってなに?
・幸せな役割分担って?
・介護や家事は誰が担っていけばいいのか?
・「当たり前」は、どうすればなくしていけるのか?
・「食っていける/いけない」のラインはどこ?


今回わたしが個人的にいちばん気になったのは、ちらっと出た「主婦・主夫のやめ方」でした。
読んで下さってありがとうございます。
それでは、液晶画面からごきげんよう。