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2015/07/15

『無知な教師』を読む with 岸井大輔

こんにちは、まつかわです。

7/12、岸井大輔day@岡山の報告、続きです。
夜は、奉還町商店街のやっちにて、『無知な教師』を読みました。

人間の平等という原則に目を閉ざし、知性の優劣という虚構によって人びとを序列化してきた近代教育。他者への侮蔑にもとづく「愚鈍化」の体制から身を引き剥がし、現実の不平等に立ち向かう知性の主体となるために必要な学びの原理とはどのようなものか? 十九世紀の「無知な教師」ジョゼフ・ジャコトがめざした革命的教育の教えをモデルに、今日の「侮蔑社会」の泥沼から解放された人間を待望する。(『無知な教師』内容紹介より)

前に岸井さんが岡山にいらっしゃった際に、第1章の「ある知的冒険」を読む会を開きました。
「ぜひ続きを」ということになったんですが、全部を読むのは難しいので、今回は、岸井さんと私がそれぞれ、みなさんと読みたい説を「よりぬき」させていただきました。

私が選んだのは、第2章の「無知な者の力量」。
岸井さんが選んだのは、第5章の「羊たちと人間たち」。

前者は、「無知な教師」のどのようにふるまい、それがどのような効果をもたらすのか、本書で紹介される教育の基本を押さえる内容。
後者は、さらにつっこんで、その「普遍的教育」がどのような政治的意味をもつかが述べられた節です。
選者それぞれの性格がでました。

読み方も、前半は、ひとり音読したら、次の人がその箇所を解説‥‥と交互に進め、後半は、ひとり音読したらみんなで議論し、音読した人の気がすんだら、また次の人が音読‥‥と変えてみました。

本書のなかで、説明を通して知識を与えるような教育は「愚鈍化する教育」と呼ばれているのですが、愚鈍化を避け発言することのなんと難しいことか。
そして、ときおり愚鈍化に陥る自分自身へのツッコミをいれながら、ランシェールのくどい表現と格闘することの楽しいこと!
自分の専門外なのに鋭いツッコミをいれてくる哲学の師匠たちを思い出し、哲学対話についても色々考えさせられる内容でした。

ひとつ、反省点があるとしたら、時間です。
今回、19:00から21:00の2時間で設定させていただきましたが、日曜なんだから18:00からはじめて3時間ぐらいやればよかった!
終了後も、岸井さんとのおしゃべりが楽しく、あっという間に時間がたってしまいました。