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2015/08/14

NSD感想「『全員で登っている』という感覚」

こんにちは、まつかわです。
お盆真っ只中、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

7月に東京で行われたネオ・そくらティックダイアローグ(NSD)
のセミナーについて、ご受講くださった吉野さんより感想が届きました。
掲載の許可をいただいたので、ご紹介させていただきます。
特に、学校の授業に対話を取り入れたいという方、必読です!



勤務している高校で、補習として哲学対話に近い形で「現代文・小論文ゼミ」を行っています。その後早速、NSDで学んだ「誰も遭難しないこと」をより意識して進行するようになりました。やはり、いかに有限の時間の中で、全員が前提を理解し合意し、(私たちが感じたような)満足感を伴って下山までたどり着けるか、というのが難しいところではあります。しかし以前よりも、教室が「全員で登っている」感覚を増した気がします。そして「松川さんだったらこういう場面でこういう確認をしたな」とかを思うことが多く、改めて学ばせていただいたことにお礼申し上げます。

また、「全員が合意を形成していく」ということは、NSD前には「その通りだな」と思っても、体験することによって、その一段深い徹底ぶりと心地よさに驚き、体得することができました。学校教育では「学びの共同体」の理念の中で「一人残らず学びを保証する」という言い方がされますが、その目指すべき次元だけでなく、一人の尊い人間、共同体の成員、あるいは将来の市民として「理解」と「合意」をしていくことの心地よさを目指すものとして、理解が深まったように思います。

(吉野真文さん/春日部女子高校教員)



さて、吉野さんの感想のなかで、山登りの比喩がたくさんでてきました。
これは、セミナーで私が、NSDを山登りに例えて説明させていただいていたからです。

NSDには決まった手順があり、各々のステップで全員が合意(「納得」といったほうがわかりやすい人もいるでしょう)してから進むというルールがあります。
これ、頭で理解するのは簡単かもしれませんが、実際に実現するのは非常に難しい。
ついつい、「ちょっとひっかかるけど、みんながOKって言ってるからいいか」と、十分に納得できないまま進んでしまいます。
そして、その小さなひかっかりが、必ずと言っていいほど、後で大きな障害となって現れます。
ときには、対話を続けるのが困難な状況に陥ることも。

‥‥‥と言っても、体験したことのない人にはピンときにくいので、私はセミナーの最初にこう説明してます。
「NSDは山登りと一緒。①プロセスが大事、②時間と忍耐が必要、③置いてけぼりをつくらない!」。
すると、みなさん2日間の覚悟もできるし、遭難する前に「ちょっと、ひっかかるんだけど」、「疲れて頭が回らないから休憩したい!」、「いま山登りでいうとどの辺り?」というふうに、みんながどんな状態で今どこにいるのか、確認しやすくなります。
そして、「遭難」(対話を続けるのが困難な状況)を避けることができます。(哲学対話における遭難も、大抵、ちょっとした危険を見逃すこと、もしくは、現在地を見失うことから生じます。)

NSDセミナーは、 説明だけではわからない哲学対話の醍醐味を体感していただくための講座。
それはまさに、吉野さんがおっしゃる「『全員で登っている』という感覚」のことでしょう。

明日から2日間、大阪で「スピリチュアルケアについてのNSDセミナー」が開催されます。
参加されるみなさん、ぜひ対話の醍醐味をご堪能ください!