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2015/09/13

東京新聞の社説に、哲学カフェ

こんにちは、まつかわです。
本日の東京新聞の社説で、哲学カフェのことが言及されています。

「週のはじめに考える “文系不要論”の愚かさ」(東京新聞2015年9月13日社説)


哲学カフェが全国に広がり、なぜこの活動がこんなに広がったのか、人々が何を求めて哲学カフェに参加するのか、関心が集まっています。
哲学カフェ@名古屋に取材に来てくださった記者の方、「哲学カフェの紹介は少しなのでがっかりされるかも」と心配してくださったそうですが、とんでもない。
哲学カフェをしっかり受け止め、独自の視点でその意義を示唆してくださってうれしいです。

カフェフィロの活動は、みなさんから寄せられた会費や参加費によって成り立っています。(時々、誤解されますが、大学から活動費が出ているということはありません。)
こうして市民の手で知を愛する活動がつくられていくことに、喜びと頼もしさを感じる一方で、教育・研究機関でこうした知が追いやられがちなことに、危機感を感じざるをえません。
私も、自分自身がなぜ哲学カフェに惹かれるのか、どのような知のあり方を求めているのか、もう一度見つめ直したいと思いました。