ページ

2015/10/21

日本人は本当に自分で考えていないのか?

おはようございます。
まつかわです。

昨日は、〈グリーングラス〉の哲学カフェでした。
『哲学カフェのつくりかた』でもご紹介した、神戸のお母さんたちの哲学カフェです。
参加者は、初めての方も含めて8名。
テーマを募ったところ、今回は「日本人は本当に自分で考えていないのか?」について話すことになりました。
テーマを提案された方は、ラグビー日本代表のヘッドコーチ、エディ・ジョーンズが日本チームの課題として「選手自身が考え行動できるようになること」をあげていたことから思いついたそうです。

他にもこんなテーマが提案されました。

●自分で考えられないのは教育のせい?
まず、「日本人が自分で考えていない」と思う理由、そうなった理由として、教育の問題があげられました。
高校までの教育で、テストで自分自身の考えを書くことが要求されることはほとんどなく、答えを暗記してそのとおり答えることが要求される。
こうした教育では考える力が身につかないのではないか。
(哲学カフェのなかでは話題にでませんでしたが、この意見をきいて、少し前にネットの記事で、習っていない方法で解いたら答えがあっていても点数がもらえないことが問題として取り上げられていたのを思い出しました。)
「自分で判断できるようになってほしいから、家庭では、次にやらなければならないことから逆算して、自分でいつまでに何をすべきか考えるように伝えている。」という方もいましたが、「その一方で、とにかく覚えて言われたようにやりなさい、という教育がされているので、矛盾している気もする」という声もありました。

●直感は「考える」に入る?
「でも、日本人も自分で考えているんじゃない?」という意見の理由としては、 「西洋の考え方とはちがうから、西洋人からは考えていないように見えるかもしれない。けど、直感や中庸を重んじる日本人独特の考え方がある」という意見がでました。
ここから派生して、「直感とはなにか」、「直感は考えるに入るかどうか」という問いが浮上しました。「直感は、理解や経験の積み重ねだから、『考える』に入る」というひともいる一方で、「考える>ふと思う>直感という順番で、判断までの時間が異なるのでは?」と「考える」と「直感」を区別する人もいました。さらに、論理的な思考と直感がそれぞれどのような場面で求められるのかについても考えました。

●どこからが「自分の考え」?
「自分で考えているつもりでも、知らず知らずのうちに本やTV、インターネットなどいろんな情報を取り入れているので、それが本当に自分の考えかどうかわからない」という疑問もでました。ここから、「自分の考えとはなにか?」「自分とはなにか?」といった問いについてみんなで考える展開に。
「 他の人の考えであっても、それをどこでどう使うかは自分で考えているのでは?」、「他の人の考えを取り入れるには、咀嚼して理解する必要がある。その咀嚼するところは、自分で考えているといえる」といった意見がでました。
「自分で決めたことは、全部自分の考え」という意見もでましたが、「じゃあ、逆に自分で考えてるといえないのはどんなとき?」と問いかけると、「『お母さんがこう言ったから、私はこうしたのに』、と自分で決めたことであっても他の人のせいにするときは、自分で考えたとはいえない」ということに。ここから、「自分で考える」ということと「責任」の関係が浮かびあがってきました。

最後に、こんなお母さんならではの率直な声がきけたのが、新鮮で興味深かったです。
「自分自身で取捨選択して判断できるようになってほしくて、子どもに「自分で考えなさい」と言っている。子どものためを思ってのことだけど、母親である自分が責任を負いたくないという気持ちもどこかにあるのかもしれない」と。


次回、〈グリーングラス〉の哲学カフェは‥‥


  • 日時:12月15日(火)10:15〜12:00
  • 場所:神戸市北区民センター


進行は、かつらのぐちゆいさんか、鈴木径一郎さんの予定です。

どなたでも参加できますが、特に思春期のお子さんをもつお母さんやお父さんは大歓迎とのこと。
どうぞ気軽にご参加ください。