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2015/04/25

死神さんとアヒルさん

こんばんは、まつかわです。

本日はカフェフィロの総会でした。
年に一度、正会員たちが集い、カフェフィロの運営や事業についてたっぷり議論します。
午前中には正会員研修も開いたので、ヘトヘトです。
でも、久しぶりにみんなで思い切り意見交換できて、すっきり。
大変充実した時間でした。

そんなわけで、今週は平日もずっと決算、予算とにらめっこ。
議事録や議決を反映させた予算の修正もせねばならないので、火曜日に開催したグリグラ哲学カフェ、昨日開催したこたつむりカフェの報告は、少々お待ちください。

代わりに、4月22日(水)に開催した中之島哲学コレージュの報告が、進行の青木健太さんより届いたので掲載させていただきます。
(読み応えたっぷりです。)


『死神さんとアヒルさん』振り返り

今回の絵本『死神さんとアヒルさん』は死神が登場するという、ある意味今までで最も直球の内容の絵本でした。ただ、死神さんの描写がコミカルなので重苦しい印象はあまりなく。お話の内容は、アヒルさんがあるとき自分についてきている死神さんに気づき、アヒルさんと死神さんが色々な話をします。そして、最後にアヒルさんが死んでそれを死神さんが見送るという展開です。毎度スライドを作るのにそこそこ苦労してますが、今回はかなり割り切って作りました。隙がない絵本です。

いつも絵を見せずに内容紹介をしているので、今回も絵本の中の死神さんがどんな姿なのか参加者のみなさんには見せませんでした。「みなさんの死神さんはどんな姿ですか?」と想像してもらいました。死神さんのイメージについてはだいたい二つの要素、「死神さんは何ものか」と「死神さんと自分の距離」がありました。

死神さんは誰なのか。一つの考え方としては自分自身というものがありました。イメージとしては、自分の写しという意味での「影」がわかりやすいです。絵本の中で、死神さんはアヒルさんが生まれてから死ぬまでずっとそばにいます。最初から最期まで自分についてくるものは、まさに自分自身ということですね。それは自分自身を「死神」と捉えることでもあるのかもしれませんが、そこに抵抗を感じている方があまりいなかったのは今振り返ってみると不思議かもしれません。

もう一つのパターンとしては、「自分に近しいか関わりがある他者」です。具体的には恋人とか先祖とかです。死神さんは時としてそっけない態度を取ったり、アヒルさんが知らないことを知っていたり、アヒルさんを導いていると思えることをします。そこからすると、死神さんは自分とは別のものとも思えますね。

この自分とは別のものというイメージで死神さんを「呼吸」と考えた方がいました。たしかに、呼吸は生まれてから死ぬまで続きます。また、むせたりするときのように思わぬ息の吐き出し方をすることがあります。そういう自分のコントロールがきかない一面もあります。また、このイメージを話された方は、呼吸にある「重さ」のことも触れられました。息が軽かったり重かったり。この「呼吸」というイメージは印象的で、何というか美しいイメージだと思います。

こういうイメージを持たれている死神さんですが、その死神さんと自分の距離についての話も出ました。おおよそみなさん、何かのきっかけで死を意識したとき死神さんが見えるようになると考えておられたようです。でも、一度見えても死を避けようとすると死神さんは素っ気なくなり、冷たくあしらわれてしまう。アヒルさんは死神さんと結局はうまくやっていたようで、それは「死を受け入れる」ということと重なって見えます。一方で、もし死神さんが絵本で描かれているような存在なら友達にはなりたくないなぁ、という意見もありました。友達になりたくないようなやつがいつもついてきて、やっとお別れできると思ったらそれが死ぬときだった。そう、「死神さんとのお別れが死ぬこと」。死神は命を取りにくる、そういうイメージもあります。でも、どちらかというと、生きているから死神と出会い、仲良くも仲悪くもあると考えたいです。

さて、ここまで前半で、後半は参加者の方に絵本の中で気になったところをいくつかピックアップしてもらいました。そこから後半で多く話されたのが、「池」と「川」です。

アヒルさんは死神さんを連れて池に入り、死神さんは寒くていられないと言います。また、アヒルさんは死神さんと木の上から池を眺め、「自分が死んだら池はひとりぼっちだ」と言います。死神さんは「アヒルさんが死んだら池もなくなるよ」と言います。このシーンの池。さらに、アヒルさんが死んだあと死神さんはアヒルさんを川に流します。このシーンの川。

池についてはアヒルさんの生活、暮らしの場のことだろうという考え方が出ました。アヒルさんが生きている場所。一方で、そこはアヒルさんが死に向かっていく場所でもあります。アヒルさんが生き生きと過ごしている、それはまた死へと近づいていくことでもある。

川は「大きな川」と言われているところから、アヒルさん以外にも流れているものがありそう、という考え方が出てきました。川の行き着く先が命の母としての海だと想像できることもあり、アヒルさんの個の命が命そのものの流れに帰っていたと考えることができます。また、川は天の川のことでこの世のものではない、という考えもありました。アヒルさんは自力で川に行ったのではなく、死神さんが連れて行ってくれた。川へと運ぶことで死神さんはアヒルさんの死を手助けしてくれていて、それは死が一人では成し遂げられず誰かの助けがなければならないということなんだ、と。ほかに、池と川を流れる、流れないというところから時間として考える方もいました。死神さんは流れている時間の象徴で、だから流れない池にはいられなかったと考えられます。

池はまさにアヒルさんが生きているところでありながら、一方でアヒルさんはそこで死に向かっている。川はアヒルさんの亡骸が流されるところでありながら、それは命の流れでもある。命、生、生きている、死、死ぬ。どこにいても、ただ生きるのでも、ただ死ぬのでもない。参加者のみなさんの語りから紡がれたことです。

今回は「みなさんの死神さんはどんな姿ですか?」と問いかけたので、どの参加者の方も「私の死神は~」と話始め、たぶん他ではありえまい、という状況になりました。それが面白くて仕方がなかったです。「お前が聞いたからだろう」と突っ込まれそうですが。でもただ面白がってるのでもないですよ?そのとき集まった40くらいの人が「私の死神」について話し合える場所が、それも難なく生きている人でも話し合える場所があって欲しいと思っています。


終了後、青木さんに絵本をみせてもらって衝撃を受けました。
私が思い描いていた「死神さん」と全然ちがう・・・。
参加されたみなさんはいかがでしたか?


来月は中之島哲学コレージュはお休みです。
そのかわり、本間さん企画のアーティスト・トークが催されます。
音楽好きの方、ぜひチェックしてみてください。

2015/04/23

4/25 北白川哲学カフェ@カフェ 小さな花

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の井上さんより、京都での哲学カフェの開催情報が届きました。


~第9回  北白川「哲学カフェ」のお知らせ~

◎日時:4月25日 <土曜日>  14:00~16:00まで
◎場所:京都市左京区北白川西平井町22-2 「カフェ小さな花<電話:724-0410>」
  市バス3番  高原町下車 プリンツカフェ東側道を南へ3筋。
  北白川小倉町下車 聖ヴィアトール教会西側道を北へ3筋。
◎テーマは当日の参加者によって決めましょう。
◎進行役(ファシリテーター):< I > 

 参加者は氏名、肩書き、年齢、性別全て無視。
 お好きなアルファベット一文字で表しましょう。
◎参加費:1.000-(コーヒーなど飲み物付)
◎予約:必ず前日までに申込み・ご予約下さい。定員 15名で先着順とします。
◎申込み・問合せ先: 井上成哉(イノウエ シゲヤ) mossgreen★art.zaq.jp(★を@に置き換えてご送信ください。)





一昨日のグリグラ哲学カフェ、昨日の中之島哲学コレージュの報告はまた後ほど・・・。

2015/04/17

「震災を〈看る〉?〜対話をとおして専門性をほぐす〜」第3回

こんにちは、まつかわです。

カフェフィロの副代表でもある西村高宏さんより、医学書院さんの看護師のためのWebマガジン「かんかん」に連載中の「震災を〈看る〉?〜対話をとおして専門性をほぐす〜」の第3回の掲載をお知らせいただきました。
被災地で「あのとき、私は看護師だったのか」と戸惑う看護師さんたちの声に耳を傾けながら、「専門性を〈ほどく〉」ことの意義について書かれています。

ちょうど先日、「ケアを考える会-岡山」という勉強会で、医療者が考える医療と、患者の求める医療とのギャップについて考えさせられたところだったので、とても興味深く、ちょっと泣きそうになりながら読んでしまいました。
医療者が「専門家としてできることはない」と判断する状況でも、「医療者に見放されていない」というだけで私たちが救われることってありますよね。

また、西村さんが紹介されている「専門職」についての考えは、看護や医療以外の専門職の方にとっても、示唆を得るところがあるのではないでしょうか。

2015/04/14

4/26 空堀哲学カフェ「女子力」

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の青木さんより、空堀哲学カフェの開催情報が届きました。


空堀哲学café「女子力」
「女子力」のあるひとは「女子」でしょうか。「女子力」のないひとは「女子」ではないでしょうか。「女子力」の反対は「男子力」でしょうか。「女子力」のないひとは「男子力」のあるひとでしょうか。そのひとは「男子力」のある「男性」なのでしょうか、それとも「女子力」のない「女性」なのでしょうか。「女子」はあったりなかったりする「力」なのでしょうか。一緒に考えましょう。

とき:426日(日)16:00~18:00
ところ:道勝café
大阪市中央区谷町6-4-20(空堀商店街)
最寄り駅 谷町六丁目(谷町線)・松屋町(長堀鶴見緑地線)
参加費:ドリンク代(¥400~600
定員:10名(要予約)
連絡先:thinkingcat.post@gmail.comNECOplace




2015/04/13

4/18 小金井哲学カフェ「理系と文系」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回開催のお知らせが届きました。


日時:4/18(土) 18:00-20:00

テーマ:理系と文系

卒業した学校で学んでいた分野で理系・文系と分類したり、または「数学が得意だから理系」のような個人の特性で理系・文系と区分けしたりします。
学問も、工学や物理学などは理系、文学や法学などは文系に分類されることが通常ですが、どちらとも言い切れない学問もあるようです。

このような分類・区分けをすることに、どのような目的や意義があるのでしょうか。
「理系か文系か」ときっちり分けることは必要なのでしょうか。

今回は、「理系と文系」という分類・区分けについて話し合いたいと思います。

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


質問

こんにちは、まつかわです。

2014年度会員のみなさま、『哲学喫茶瓦版』3月号はお手元に届きましたか?
今号は、「哲学カフェmap」と称して、カフェフィロで定期開催している哲学カフェの情報を集めてみました。
NSDセミナー受講生の感想も掲載させていただいております。
もし「会員なのに届いてないよ」という方がいらっしゃったら、事務局(info@cafephilo.jp)までお知らせください。

カフェフィロニューズレター『哲学喫茶瓦版』2015年3月号



さて、先週の土曜日4月11日は、岡山大学のまちなかキャンパス、城下ステーションにて哲学カフェでした。

まずはお詫びを申さねばなりません。
スタッフ間の確認が足りず、開催時間が予定より30分遅れてしまいました。
お待たせしてしまった参加者のみなさん、本当に申し訳ありませんでした。
私も前日の確認を怠らなければ避けられたはずなので、今後このようなことがないよう気をつけます。

テーマは「質問」。
提案者は、いつもこちらの哲学カフェに参加している我が夫(他の参加者にもテーマを募っていますが、誰からも希望出ず、自分も思いつかなかったので)。
「質問って、質問の形をしているけど実は質問じゃないことがある。なぜだろう?」というのが彼の疑問です。
他の参加者のみなさんも、それぞれ、「私たちはなぜ質問ができるのか?」「対話を深める質問はどんな質問か?」、「上手い質問/下手な質問って?」、「質問は上達するものなのか?」といった疑問を抱いて参加してくださいました。

3月に質問に関するカフェフィロセミナーをさせていただいたばかりの私でしたが、セミナーでは哲学対話に効果的な質問に特化して考えたのに対し、今回の哲学カフェでは「あの仕事どうなってますか?」「岡山駅にはどういきますか?」といった日常会話における質問や、国会中継できく質問、教室で先生が生徒に向けてする質問など、多種多様な質問について考えることができ、新しい発見がたくさんありました。

特に印象に残っているのは「質問という衣」というキーワード。
(「質問というオブラート」と表現された方もいましたね。)
見かけは質問だけど実は催促をしている「あの仕事どうなっていますか?」だとか、ご近所さんとの関係づくりに役立つ「どちらへ?」「ちょっとそこまで」というやりとりだとか、「〜についてどう思いますか?」と質問するふりをしながら自分の主張をぶつけるだとか、私たちの周りには「質問という衣」をまとった、でも答えを求めているわけではない様々な言葉があふれているという指摘。
どうして、直接催促したり主張したりせず、わざわざ「質問という衣」をまとわせるのか。
日本の文化や相手との関係性、質問の形をとる場合とそうでない場合で相手の反応や効果はどう異なるかなどを話ながら考えました。

もうひとつ、おもしろかったのは、質問の種類の分け方。
途中まで、私は「情報を得るための質問、催促のための質問、主張のための質問、関係づくりのための質問・・・」とその目的や効果によって質問を分類しながら、みなさんの話をきいていました。
が、「相手との関係性や距離によって、できる質問とそうでない質問がある」という意見をきいて、「相手との距離によって質問を分けてみたらどうだろう?」と考えてみました。
道を尋ねる質問は通りすがりの人にでもできる質問、「どちらへ?」「ちょっとそこまで」はそれほど親しくないご近所さんにもできる質問、「どちらからいらっしゃったんですか?」は哲学カフェで初めて会う人にできる質問、年齢を尋ねる質問はある程度仲良くならないとできないな・・・など。
私は、相手によって態度を変えるのが標準よりだいぶ苦手なほうなので、この分類は今後大いに役立ちそうです。

質問って懐が広い!
コミュニケーションのあらゆる要素について考えられるものなんですね。
哲学カフェのなかででた質問についても、「その質問は、どういう質問なんだろう?」とメタコミュニケーションが発生するのもおもしろかったです。


さて、次回、城下ステーションの哲学カフェは5月9日(土)。
テーマは「住みたいまち」です。
引っ越しや移住を体験した方、「地域創生」に関心のある方、考えたことないけれど人とおしゃべりしたり考えるのが大好きという方、どなたでも気軽にご参加ください。

会場が開くまでのあいだ、参加者の方と隣の岡山神社で開催されていた骨董市へ。
輸入もののボタンを衝動買い。今度の手芸カフェで自慢しよう。




2015/04/08

こたつむりcafeで「結婚」について考える

こんにちは、まつかわです。
年度末、年度はじめでバタバタしていて、ご無沙汰してしまいました。
ごめんなさい。

3月27日(金)の夜は、やっちにてこたつむりcafeを開催しました。
テーマは「結婚」。



インド、ネパールを旅して帰ってきたケンちゃんのスペシャルカレー(玄米でボリューム◎)とチャイを食べながら、いろんな話をしました。


玄米&ヴィーガンカレー 700円

前半は、既婚者の実感をきいたり、互いの「結婚に求めるもの」を聴き合いながら、結婚=帰るところ?、一緒にいることはどれくらい重要か?、夫婦のほどよい距離感とは?等々について話し合いました。

後半は、法律に詳しい方が、法律上の「婚姻」について色々教えてくれました。
曰く「制度(法律)上の「婚姻」と、世間や個人が抱く「結婚」のイメージはずれているのではないか」と。
法律では同居義務が定められていて、本人同士の合意がなければ、基本的に同居しなければならないときいて、一同びっくり。

個人的には、同居義務や不貞行為の違法性の話をしてるうちに、同性婚を排除している現状の婚姻制度に限界を感じつつも、自分が婚姻という制度に安心感を期待しているということに気づかされたのが大きな収穫でした。
他の参加者のみなさんはいかがでしたか?



今回は「結婚」の制度的な側面についてある程度話すことができましたが、今度はそうじゃない側面も掘り下げたい!ということで次回は「パートナーとは?」について考えます。
次回の詳細についてはこちらをご覧ください。